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岳南朝日新聞5月コラム 掲載されました

毎月第2木曜日に「母に必要なチカラって何だろう」が掲載日されます。
子育て中のお母さんたちのリアルな声をお伝えしていくので、ぜひご覧ください。

5月のタイトルは「東京での育児、富士宮での育児」です。

 

東京での育児、富士宮での育児

【こんなに大変だとは思わなかった育児】

富士市出身の私は、大学進学で上京してから、就職・結婚と16年間を東京で過ごしました。夫も北海道から上京して働いていたので、夫婦とも実家は遠く、子どもが欲しいなと考えだした時から、周りに頼れる人がいない事は承知していました。東京での生活も時を重ねると知り合いも増え、居心地もよかったので、子育てに対してあまり不安はありませんでした。

結婚して2年で妊娠し、無事に里帰り出産を終えました。ところが、実母がいない育児がスタートした瞬間から、子育ての大変さを実感し、日を追うごとにストレスへと変化し始めたのです。息子は本当によく泣く子で、部屋の中でも抱っこをしていないと、常に大きい声で泣いていました。賃貸アパートで生活をしていたので、「隣の方に迷惑をかけてはいけない」「泣き声が聞こえたらダメだ」と思いこみ、息子が泣かないよう常に気を張っていました。子どもが産まれる前は電車で20分程の友達とよく遊んでいたので、出産してからも気分転換にでかけようと思っていたのに、よく泣く乳幼児をつれて満員電車に乗るという行為はとてもハードルが高く、次第に電車にも乗れなくなっていきました。富士宮のような車社会とは違い、主な移動手段は電車とバスだったので、いつしか外出は徒歩でいけるところのみに限られていきました。徒歩圏内には友達もいない、夫も平日は仕事で帰宅は深夜…、次第に孤独を感じるようになります。そんな中、新生児訪問の時に保健師さんに教えてもらった支援センターを思いだし、藁をもつかむ思いで毎日通い、センターの先生やお母さん達と話したりしながらなんとかその日その日を乗り切るという日々が続いていました。

 

【育児のストレスが溢れた日】

息子が生後7か月位の頃でした。その日は徒歩30分程の支援センターに遊びに行き、さあ帰ろうと家に向かって歩きだした途端、ギャン泣きが始まったのです。いつもは抱っこ紐をして散歩していれば泣き止むのですが、その時は泣き止むどころか更に激しく泣く一方で、すれ違う人も振り返るほど。道端なので授乳をするわけにもいかない、家までの間で寄れる場所もない。でも早く泣き止ませないと!!と、どうしたらいいかわからなくなっているうちに、私も涙が溢れ出ました。常に寝不足、頼れる人もいない、私が倒れるわけにはいかない、「でもみんなこうやって子育てしているんだ…」いろんな我慢が溢れ、堰を切ったように息子と一緒に泣いていました。この時、「地元で子育てがしたい」という気持ちが固まった気がします。

 

【安心できる育児の環境】

夫も私の限界を理解してくれ、私の実家のある富士宮へ移り住むことに賛同してくれました。夫からしたら知り合いもいない土地。転職もして全く知らない道を覚えながら車で仕事に通いだしてくれました。慣れない環境に初めは大変だったと思います。それでもこちらに住むという決断をしてくれた夫には感謝しかありません。地元での育児は、近くに実家があるということはもちろんですが、東京ではなかったご近所さんとの付き合いも出来て、近所を歩けば話しかけてくれる人がいるという安心感の中、子育てができています。そしてあのまま東京にいたら考えられなかった二人目を授かることもできました。

昨年、下の子が産まれたタイミングで母力向上委員会の講座に参加し、同じ立場で頑張るお母さんとも多く知り合うことができました。子育てに関しての情報もたくさん入ってきます。今は心がとても安定し、安心して育児ができていることに感謝する一方で、東京での生活を振り返り、「なぜあんなに自分を追い詰めていたのだろう」と振り返ることもあります。もっと積極的にお隣さんに関わったり、辛くなる前に、支援センターに出かけたり、そこで知り合ったお母さん達ともっと悩みを共有できたらよかったなと後悔したり…。あの当時は、無我夢中で視野も狭かったのでしょう。周りにアンテナを張ることも、情報を得る余裕もなかった育児。でも、「普通に生活していても育児に必要な情報が自然と入ってくる社会にしたい!」。いま、自分の経験を活かしそれを実行できる場所である母力向上委員会で活動を始めているのはこんな思いからです。育児が孤独、と感じるお母さんを一人でも減らせるようにするのが、今の目標です。

 

文責:瀬川那美