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岳南朝日新聞5月掲載されました

毎月第2木曜日に「母に必要なチカラって何だろう」が掲載されます。
子育て中のお母さんたちのリアルな声をお伝えしていくので、ぜひご覧ください。

4月のタイトルは『子どもと向き合い、自分と向き合う』です。

 

私は出産するまで子どもにほとんど接することのない人生を歩んでいました。子どもや子育てについて深く考えることもなく、親子とは「親が子を育てる」という一方向の関係性だと、漠然と考えていました。しかし実際の子育ては子どもによって私が育てられることが多く、自分や過去と向き合い「人」として育っていく感覚を強く感じるものでした。

 

親としての成長

子育てにおいて私に立ちはだかった壁は二つ。一つは「子どもがいる生活」に慣れることでした。最初は頻繁な授乳による寝不足や小さな命を扱う緊張感。その後も食事やお風呂、歯磨き、外出する準備などすべてにおいて自分と娘の2人分が必要。一人であれば適当に済ませられることもそうはいかず、日常生活のハードルが地味に上がってしまう。一人で自由に過ごす時間をずっと持っていた私にとって、二十四時間子どもと一緒の生活はギャップが大きく、娘の可愛さや愛情とは関係なくストレスを感じていました。しかし子どもとの生活に慣れてしまえばストレスは軽減し、子育ての楽しさや娘の可愛さの方が上まわっていくことも感じました。

 

隠れていた未熟さ

もう一つの壁は、自我が芽生えた娘との接し方でした。娘が一歳半を過ぎて一人で出来ることが増え、言葉で意思を伝えられるようになると、話しかけたり遊びに誘ったりしてくれます。そうした成長は喜ばしいことであり、子どもらしい価値観や面白い感性が表面化する楽しさも感じていました。しかし同時に家事や仕事を中断させられることも増え、わがままやいたずらもするように。相手は子どもであり、親の都合に付き合わせていると自覚しながらも、些細なことですぐイライラする自分に戸惑い、そしてそんな自分が情けなくてとても嫌だったのです。出産前の人生では刺激されなかった心の奥底にあるものが、思い通りにいかない子育てによってどんどんあぶり出され、人としての未熟さを突きつけられたようでもありました。

 

知らなかった自分

そんな自分から脱却すべく、たくさんの情報を調べいろいろな人のアドバイスを聞きました。すると、私の心の奥底に眠っていたのは子どもの頃の自分だということが分かってきたのです。というのも、私は幼少期の頃からとても寂しい思いをして育ちました。昼も夜も一人で過ごし、親に拒絶され、耐えるしか手段がありませんでした。その寂しさが自分の心に深く根を張り、それを自覚しないまま人生のあらゆる場面で苦しんできました。子どもの頃の「甘えたかった気持ち」を消化できず、他人の甘えに対して不寛容になり、かつての自分と同じように「耐えること」を相手に無意識に求めていることに気づいたのです。「甘えてはいけない、我慢しなければいけない、煩わせてはいけない」という価値観を子どもに押しつけているということは、とても可哀想なことであり、怖いことだと感じました。

 

心を癒す方法

過去の気持ちを消化するには、いま私の目の前にいる娘に「当時私がして欲しかったこと」をすることが良いのではないかと思っています。じっくり話を聞いて欲しい、泣いている時には寄り添って欲しい、声をかけたら振り返って欲しい、私に興味をもっていろいろ聞いてきて欲しい、言葉でうまく表現できない気持ちを汲み取って欲しい、笑って欲しい、人生を楽しく生きて欲しい、そんなことを親に望んでいました。もちろん娘の可愛さや愛しさが私を動かすのであって、心を癒やすために子育てをするのではなく、また私と私の娘は違う人間なので望んでいることが一緒とは限りません。娘に目一杯愛情をそそぎながら、娘の想いを丁寧に読み取り、それを叶えられる親でありたいのです。

 

一緒に成長する

かくいう私も疲れていたり落ち込んだりする日もあるので、いつでも娘の望みを叶えられるわけではありません。でもそういう時には夫に助けられたり、母力向上委員会のメンバーに元気をもらったりして、頑張る気持ちを立て直します。そしていつでも「おかあさん、だいすき」と言ってくれる娘の純粋さに救われます。人に助けられながら成長していくという経験を、娘と一緒に積み重ねていくことが今は楽しいです。子どもと向き合いながら自分と向き合い、家族の時間をより豊かにすることが、母となって新たに見つけた人生の幸せだと感じています。