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岳南朝日新聞6月掲載されました

毎月第2木曜日に「母に必要なチカラって何だろう」が掲載されます。
子育て中のお母さんたちのリアルな声をお伝えしていくので、ぜひご覧ください。

6月のタイトルは『「普通」に振り回されない育児』です。

 

 

▼子育ての「正解」や「普通」

5歳の長女がまだ寝返りもできない赤ちゃんだった頃、母親1年目の私は子どもの体温調節に悪戦苦闘していました。人に聞いたりネットを調べたりしても正解が分からず、特に少し汗ばむ初夏には「エアコンをつけるべきか、窓を開けて自然な風に頼るべきか、どんな衣服を何枚着せるか、靴下は履かせないと可哀想なのか…」と毎日真剣に悩んでいました。その後産まれた次女も3歳になり、母親も5年目になった今は体温調節で悩むことも少なくなりましたが、振り返ってみると母親2~3年目までは「育児の正解」や「世間の普通」に振り回されていたなあと感じます。

 

▼私の「普通」の根拠はあるか

そう感じたのは、最近夫に勧められて読んだ『「学力」の経済学』という本がきっかけでした。経済学というのはざっくり言うと統計学のことで、根拠を明確にして学力にまつわるいろんな説について書かれている本です。その本では「ほめて育てる、ごほうびで釣ってはいけない」などの見解を述べる教育コメンテーターたちに対し、-彼らがテレビや週刊誌で述べている見解には、ときどき違和感を覚えることがあります。なぜなら、その主張の多くは、彼らの教育者としての個人的な経験に基づいているため、科学的な根拠がなく、それゆえに「なぜその主張が正しいのか」という説明が十分になされていないからです。(『「学力」の経済力(著・中室牧子)』より一部抜粋)―と書いてありました。それを読んだときに、私自身もコメンテーターと呼ばれる人たちと同じではないかと感じたのです。自分が思い描いている「育児の正解」に、それが正しいと説明できる根拠はあるのか。「子どもにいつも優しくする」「自分よりも子どものことを優先する」「忙しくても家事をきちんとする」ということが母親の「普通」だと思っている根拠はどこにあるのかなと疑問に思い始めました。

 

▼根拠のない「普通」は必要ない

そもそも「普通」とは何なのだろうと思い調べてみると、「特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。また、そのさま。」とありました。変わっていないこと、多くの人がそうであることが「普通」となるならば、多数派の母親が普通の母親といったところでしょうか。

私は自分の育児に不安を感じると、ネットで調べたり他のお母さんから話を聞いたりしていました。そして「私だけじゃないんだ。」と分かるとほっとしたものです。しかし、逆に「普通」や「多数派」に当てはまらないと、自分を責めたり自信を失ったりということもありました。その本を通して振り返ると、自分が描いた根拠のない「普通の母親像」に安心を求めたり苦しんだりして、振り回されていたことに気づいたのです。根拠のない「普通」に振り回されて自分や家族を大切にできないのなら、無理に「普通」である必要はないと思いました。

 

▼自分と家族の心地よさを根拠に

子育てには正解がありません。正解がなくて、四六時中「これでいいのだろうか?」と自問自答して悩んでいます。だからこそ、「普通」とか「しっかり、きちんと」のような基準をもって安心したいのかもしれません。しかし、同じ親から生まれて、同じ環境で育っている子どもたちさえも一人ひとり異なり、母親である私たちも得意なことや苦手なこと、好きなことや嫌いなものが異なります。ひいては父親や祖父母、友人、職業、地域等の母と子を取り巻く環境も様々です。そんな多様性のある子育てすべてに当てはまる「普通」などないと気づきました。

「普通」や「多数派」にとらわれて家族の笑顔が減ったり、どこの誰が言い出したかも分からない母親像に苦しんだりするよりも、我が子や夫とコミュニケーションをとり、お互いに心地よいところを目指せたらいいなと思います。もちろん、「我が子さえ良ければいい」という自己中心的な考え方になってしまわないように周囲に思いやりをもつことも大切です。ただ、母親である自分が疲弊しきって我が子に愛情深く接することができなくなってしまうくらいなら、他の家族とは違う「私流の子育て」をしても良いのではないかな、と思うのです。

正解がないからこそ子育ては難しい。それゆえに「大切な家族と自分にとって心地よいこと」を根拠に、オリジナルの子育てを導き出すことができるのではないでしょうか。