4月は望月希久枝が
『旅立ちの卒業、卒園~コロナ禍の想い~』をテーマに書きました。
以下より全文お読みいただけますので、ぜひ読んでみてください。
【14年間の保育園生活】
私には、娘が三人います。その内の長女が三月で中学校を卒業、三女が保育園を卒園しました。保育園には長女が一歳から三女が卒園までの間、計14年間通いました。長女が保育園に入園した頃は、産休明けからの仕事の復帰や初めての保育園生活、全てが慣れない生活の中、初めの1年間はとてつもなく長く感じました。それまでは、一日べったりと一緒だった長女を保育園に預けると、毎日大泣き。その泣き声を背に後ろ髪をひかれる思いで、仕事に向かい、通勤の車の中でも何が正しいのかわからず、涙を流しながら、通勤する日々でした。しかし、そんな長女の大泣きの日々も、次第に少しずつ成長と共に慣れていくなと成長を感じられたのは、一年が過ぎた進級式の日でした。一年前の入園式では、私にしがみついていた長女が進級式では大きな声で保育園の園歌を歌っている姿を見た時は、この一年間、本当によく頑張ってくれたなと目頭が熱くなりました。
【見守ってくれた保育園】
次女を妊娠してから出産までは、長女の保育園の送迎の際に、クラスの子どもたちが毎日のように「いつ生まれる?」、「もう生まれた?」、「早く赤ちゃん見たいな~」と日に日に大きくなる私のお腹の成長とともに、毎日を楽しみにしてくれました。出産後も、送迎の際に子ども達がみんなで囲んでは「かわいいね~」、「小さいね~」と次女の小さな手を握ったりと一緒に成長を見守ってくれました。そんなこともあり、次女の入園は、8ヶ月と少し早かったのですが、長女のクラスの頼もしいお姉さん、お兄さんが次女のクラスに覗き込んでは温かく見守ってくれました。
三女の時も次女の時と同じように、次女のクラスの子ども達が三女のことを見守ってくれました。そんな風に先生だけでなく、子ども達にも見守られながら入園した次女、三女は保育園にもすんなりと馴染んでくれたように感じます。そんなこともあり、保育園でお友達もたくさんでき、友達と遊ぶのを楽しみに卒園まで元気に通ってくれました。
【コロナ禍の中学校生活の始まり】
長女の中学校生活は、コロナが流行り始めた時期と重なりました。入学式を迎えた一週間後に休校となり、休校明けからは、休校期間中の遅れを取り戻そうと怒涛の生活が始まりました。勉強、部活、環境に慣れるだけでも大変だった中にコロナが重なり、子ども達の負担は相当だったと思います。その結果、厳しい環境にうまく順応できず、体調を崩した長女は、不安に押しつぶされそうになっていました。その時に学校の担任の先生や主任の先生、保健の先生、部活の顧問の先生と皆さんがとても親身に対応してくださったことと、長女の必死の努力の結果もあり、次第に体調も戻っていきました。
【我慢の連続】
人生の中で一度きりしかない貴重な中学校生活は、行事もたくさん我慢をしなければなりませんでした。文化祭や体育祭も中止や縮小、部活動の大会も制限や直前で中止など頑張って準備してきたことが報われないことも多くありました。それを「コロナだから仕方ない」で済ませられるほど大人ではない、子ども達は我慢を強いられてきました。そんな中でも数少ない行事を必死に取り組み、楽しむ子ども達の姿を見ると、胸が熱くなりました。
【最高の卒業式】
長女の卒業式は、準備や練習を事前に何回も繰り返ししたことだろうと思うほど、本番は全員が緊張感を持ち、びしっと整列をする姿は圧巻でした。何もよりも、答辞でコロナ禍での中学校生活を振り返り、みんなが大変な三年間を共に過ごしてきた仲間なのだなと感じるものでした。全体合唱では、大きな声で合唱する姿はマスクをしてのものでしたが、マスク越しでもその気迫や想いが伝わってきました。そんな形で終えることができた卒業式を長女は「最高の卒業式だった。」と話していました。この三年間、本当に色々ありましたが、最後がそのような形で終えることが出来たことに本人の努力もそうですし、周りの仲間たちや学校の先生に感謝の気持ちでいっぱいです。
これからコロナが少しずつ終息に向かうかと思いますが、子ども達のこれからの明るい未来を、この経験を糧に、強く、逞しく過ごしてほしいなと思います。
文責 望月 希久枝
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